衣装と舞台
—舞台における衣装の役割

舞台上での衣装は、その物語の世界観を舞台上でより一層引き立たせ、観客を物語の非日常の世界へと引き込むトリガーとしてなくてはならない要素です。 ときに、物語の時代背景を表す役割であったり、ライオンキングやキャッツのように、動物の動きをよりリアルなものに近づけるために、人間の動きと掛け合わせて相乗効果を作るようにデザインされていたり。衣装一つを取っても、その舞台の物語によって意味づけはそれぞれにあります。
—舞台セットと転換

舞台と衣装がミュージカルの視覚的効果の大部分を担うとすれば、衣装はより一層人の動きにフォーカスして動きとして魅せる肉付け的な要素が多いと私は思います。 一方、舞台セットは、物語における視覚効果を生むための骨組み部分。ここで大方の作品のイメージが印象付けられます。 費用をふんだんにかけることで、大掛かりで迫力のあるステージを演出する作品もあれば(ライオンキングやオペラ座の怪人、ウィキッドなどとても豪華です)、ストーリーと歌重視でそれに付随する形で舞台セットの構成がなされている作品(アイーダや、ウエストサイドストーリーなどは、比較的シンプルに、色やモチーフを使うことで世界観が表現されています)など、やはり衣装同様、作品によってそのやり方は大きく異なってきます。そういった点も意識して見ると、より一層ミュージカルのおもしろみが見えてくると思います。 場面転換においても、舞台セットはもちろん重要なもの。例えば屋外のシーンから屋内のシーンに転換するときなど、舞台セットの転換がそのまま状況説明の役割を果たしたり、視覚的にそのシーンのイメージを強く観客に植え付けるという意味でも大きな存在でしょうね。 また、限られた舞台上のスペース内で最大限の世界感を生みだすために使われる遠近法などの手法もとても興味深いです。例えば、オペラ座の怪人で、クリスティーヌがファントムに連れられて、ボートで地下の水路へ行く場面。周囲のろうそくを灯した燭台は、奥に行くにつれて小さく設計されており、実際よりもより一層奥行きが感じられるようになっています。 このように、限られた空間内でストーリーを最大限伝える工夫、世界観を伝える工夫がミュージカルの舞台セットには詰まっています。 (出典:http://gekidanshiki.com/lionking/archives/864 (出典: http://www.wataming.co.uk/phantom_03.htm
—舞台を楽しむ作品

上述したように、オペラ座の怪人の舞台セットは、1900年代のパリ・オペラ座の雰囲気を存分に感じられるかなり豪華な舞台セットになっています。 映画などでご存知の方も多いかと思いますが、冒頭のシャンデリアが落下するシーン、オペラ座の怪人のメインテーマとも相まって、舞台においてもかなり圧巻のシーンです。私個人的には、あのシーンを舞台で表現できるのか、ととても感動したのを覚えています。他にも、マスカレードのシーンにおける遠近感を利用して作られた螺旋階段、ステージを縁取る装飾物など、ヨーロッパらしい側面も多々見られ、ゴージャスな雰囲気が再現されています。 地下の迷路のセットも素晴らしいです。前述した遠近法を用いた燭台に加え、スモークの演出と照明よって、幻想的なあの雰囲気が舞台上に現れている訳です。 舞台を楽しむ作品といえばもう一つ、ライオンキングの舞台装置も見逃すことはできません。 言うまでもなくライオンキングは私の一番のお気に入りのミュージカルなのですが、ブロードウェイで始まったオリジナルのライオンキングの舞台演出を出がけたのが、ジュリー・テイモア。アメリカの舞台演出家です。私のとても尊敬する演出家なのですが、とにかく彼女の作り出す世界観のセンスは天下一品だと思います。モダンでありながら意外性のある手法、それらが歌やダンスなどと複合的に組み合わさることで、ミュージカルが一つの世界観を作り出すのですが、その手法の幅広さとバランス感は本当に類を見ない素晴らしさだと思います。

例えば衣装の話。ライオンキングでは、人が動物を演じる、という特殊な設定のため、衣装にも多大なる工夫が凝らされています。 実は、若くから舞台に関わる勉強をしていた彼女、パリでパントマイムを学んだり、なんと日本で文楽や歌舞伎・舞踏などの伝統芸能も学んだと言うから驚きです。 ライオンキングでは、人間が動物を演じるにあたって、パペットを用いてその動物の動きが表現されているのですが、彼女はそのパペットという手法を、日本の人形浄瑠璃からインスピレーションを得て考案したというのです。
アフリカの様々な動物たちが登場する中で、その衣装の構造も様々。ティモンとプンバァはパペットで人間が人形を操るような構造になっていたり、一方キリンやシマウマは完全に人間が動物の形の一部となり、動きの中に溶け込んでいたり。 中でもムファサとスカーは、演者の頭に電動のマスクが乗っており、お互いに威嚇しあったり、より動物的な動きになるときには、普段は頭上に乗っているマスクが、電動で前方へ出るような仕組みになっています。これは重量としてもかなりの重さらしいので、あの機械を本物の動物の動きさながら、滑らかな動きに操作できる俳優さんたちはすごいですね・・・!

舞台セットで言うならば、ライオンキングで欠かせないプライドロックもそうなのですが、私は何と言っても、真っ赤な背景に煌々と現れる大きな太陽が印象的で好きです。大胆な色とシルエットでシンプルな構成だからこそ、アフリカの広大な草原を連想することができる、まさに引き算の美しさであると私は感じています。中盤に出てくるインドネシア流の影絵も、エキゾチックでとても素敵です。アフリカの広大な草原をシンバたちが走り回る光景が、影絵を用いて表現されているのですが、壮大さを、逆にスケールを落として小さくすることによって表す、というのはとても面白いなと感じました。 その一方で、ヌーの大暴走のシーンでは、ヌーの大群によって引き起こされるパニックと喧騒が、よくもあの小さな舞台の上で表現されたなと感心いたします。ここではかなり極端な遠近法が用いられ、数段に分かれたローラーの上に配置された大小のヌーのマスクによって、谷の向こうの方から爆走してくるヌーの大群の光景が巧みに表現されています。 (出典:http://gekidanshiki.com/lionking/archives/864


引き算によって生み出されるアフリカの壮大な景色と、巧みなテクニックによって演出される動物たちの力強さが互いに作用することで、ライオンキングの源流にあるアフリカの世界観が、新しい手法によって生み出されています。 きっと、たくさんの国でその土地の伝統を学んだことで、真の意味で伝統を心得ているからこその、あの表現なのでしょうね。まさに伝統的手法を現代に昇華した表現の真骨頂と言えると思います。
—衣装を楽しむ作品

私が今まで見ていて特に衣装が素敵だな、と感じた作品は、「ウィキッド」です。この作品は、皆さんおなじみの「オズの魔法使い」に出てくる「悪い魔女」と「良い魔女」の友情を描いた裏側の物語で、アメリカでは2003年に初演されました。
ウィキッドで印象的なのは、何と言ってもあの緑の世界観。物語の中でも、この“緑”は重要な役割を果たしており、主人公エルファバの緑の肌はいじめや差別を引き起こす要因として、用いられています。これはアメリカでの差別問題などの社会的背景を写すものであると言われていて、その背景が“緑”という色に込められ、ありったけの世界観として一つの色が用いられているのは非常に興味深いです。 なぜなら、私の中で、“緑”に対するイメージがこの作品によって一変したからです。それまで緑ってなんと言うか、あまり美しい色っていうイメージがあまりなくて、ましてや顔全面が緑色に塗られているってやっぱり少し気味の悪い感じがしてします。
しかし、ウィキッドの舞台で表現される緑の世界観はとても鮮烈で美しいです。初めは確かに、緑の顔をしたエルファバに少し気味が悪い、という印象を持ってしまうのですが、見るうちに、その緑の世界に引き込まれてしまうのです。 特にエメラルドシティのシーンでは、エメラルドグリーンを基調としたコスチュームのデザインが光ります。そのデザイン性はピカイチ。 それもそのはず、ウィキッドの衣装デザインはトニー賞の最優秀衣装デザインを獲得しているのです。アメリカの衣装デザイナーのスーザン・ヒルファーティは、現代のファッション・デザインから古典的なファッションまで、キャラクターの衣装をつくるために幅広く研究したと言います。 ウィキッドでは、この衣装の存在が他のミュージカルに比べて意味合いが強いと思います。この作品のキーポイントとなる「善と悪」「抑圧と解放」など、複雑な問題を示唆する存在としてその威力を発揮しています。例えば、私は1度見ただけでは気づけなかったのですが、物語が進むにつれて徐々に衣装に使われるようになる動物の皮や羽毛などは、オズの国での動物と人間の共存が崩壊するに従って増え、調和の崩れを暗に示しています。 衣装一つをとっても、それだけ意味が込められているとなると、本当に感心せざるを得ません。 それを、舞台と掛け合わせてエメラルドグリーンの妖艶な世界観にうまくミックスさせており、その融合はある種新しく、斬新でスタイリッシュなものだと言えるのではないでしょうか。 (出典: http://topicks.jp/16562
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